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このごろ祈る

3月11日は、北鎌倉の建長寺にいた。

追悼・復興祈願祭にボランティアスタッフとして参加。
こうした催事は、とにかく「お客さん」として行くよりも、スタッフ側にいるほうが
性に合っているので、とてもとてもありがたい。

だってそうでなかったら、どう過ごしていいか分からない。
たぶん、そわそわして、ごろごろして無為に過ごしてしまったのに違いない。

42_large.jpg

※写真は、すべてフォトグラファー・漆戸美保姐さん撮影。多謝!
神道、仏教、キリスト教が合同で祈る。できそうで、あまりされてこなかった。
去年の4月11日にも追善供養を鶴岡八幡宮で行われた。

僕自身、まだ、福島の仕事も混乱していて、余震も絶えず、
原発の緊迫した情勢が鉛色の雲みたいに覆っていた時期だ。


当たり前だけど、ここまでの状況になったことがない。
もちろん、仕事で行き詰まることはあったけども、
もっと身の回りの世界全体が陰鬱だった。

だから、そういうときにどうしていいかわからなかった。
そのころは「誰それが、なんとかでありますように」と、祈っていた。
「こうしてほしい。神様!」って祈っていた。

もちろん、そのこと自体はいまでもあるけれど。

10_large.jpg


クリスチャンの家に育ったけど、両親も神父さまも
「祈る」とはこういうふうにするものだ、とは教えてくれなかった。

「神様、あれをして!」は、祈るといえば祈るだけど、
どっちかというと「願う」「望む」ということに近い気がする。

hopeとかwishとか。


でも、そのあといろんなお坊さまのお経や
平群での讃に聞くにつれ。少し分からなくなった。


祈るってことがくどくど願いごとを言うこととは違う気がしてきたのだ。




祈りにはもう、具体的な内容がないものなのかもしれないと思えてきた。
お経にも意味はあるし、それはとても深いものだけど、
それを唱え続けて、水のように染みわたることが
血肉になった祈りなのではないか。

4_large.jpg



キリスト教にも「主の祈り」というのがある。
最近は口語調になってしまって唱えにくくなったのだけど、
僕は唱えやすい文語調のままだ。

「天にまします我らの父よ
 願わくは御名の尊ばれんことを
 御国の来らんことを
 御旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを
 
 我らの日用の糧を今日我らに与えたまえ
 我らが人に赦すごとく、我らの罪を赦したまえ
 
 我らを試みに引きたまわざれ、
 我らを悪より救いたまえ
 
 アーメン」

71_large.jpg

でも、実際こんな漢字をイメージして唱えることはない。
「てんにましますわれらのちちよねがわくはみなのとうとまれんことを」
って音だけで唱えてる。


子供のころ、意味なんて知らなかった。
でも、分かってみれば言っていることは、どれも当たり前のことばかりだ。
当たり前で、とても大事なこと。

22_large.jpg


祈願祭のあと、うるしーさんに
「キリスト教の祈りがいちばん分かりやすかった」って言われて、
とても嬉しかった。誇らしかった。

もちろん、神道のも仏教のもどの祈りの素晴らしいものだけれど。
影が薄かったり、あまり知られてないキリスト教の祈りが
だんだんと分かってもらえるのは素直に嬉しい。

一神教というだけで、毛嫌いする人も意外といるし・・・
なにより、誤解される材料には事欠かないからなぁ。


それでも、日本で行われてるのは、日本なりの
ひそやかで身の丈に合った祈りだと思う。そういう意味ではあまり
他の宗教と変わらない。俗な部分も変わらない。

ずっと無力だったということも変わらない。
そして、不良クリスチャンである僕自身も、
あまり、このアイデンティティについて考えないようにしていた。
重視していなかった。

129_large.jpg

でも、今は少し違う。
こういうよりどころがあるということが
僕にとってどれほど救いだったかということを思い知ってしまって。

もちろん、実際になにかこまったことがあって、
救いの手を差し伸べてくれるのは、全て生身の、
身の回りの人々で、「神様助けて!」っていっても、
ほぼ100%神様は黙っている(そりゃそうだ)


黙っている。それでも、黙って祈る。
何も考えないで祈る。
そうしていると、まるで自分の足元に石畳を築くような
壁にハンドルを取り付けるような感じがある。

そういうものが祈りだと、今この時は思っている。
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部長らしい

ブログと思います。
沢山の人の祈りがもっと沢山の人に
届きますように・・・

ですね

たくさんの寄付ができなくても、
殊更なことができなくても、祈ることには意味があるとおもうです。
プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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