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ナイクルージン

ときにはあてどなく書いてみる。
あてどはあるんだけど、そこにたどり着くかどうかは知らない。

震災から8ヶ月もたって、去年のいまごろどうしていたかなって考える。
ONさん(わたしのアイドル)の誕生会があったっけ。
あの豚肉しゃぶしゃぶはうまかったな、とか。なぜかチーズフォンデュしたよなとか。

震災に直接は関係ないのかもしれないけど、あのあと何が起こってるかと言えば
いろんなものが「馬脚を現す」とか「メッキが剥がれる」状態で、
僕自身も、自分のメッキがずいぶん剥がれて、あらよーと途方に暮れている今日この頃。
ちょっと、そこ、にやにや笑わない。おっちゃん真面目やねんから。

P8273808xx.jpg
で、同窓会があった。びっくらこいたんだけど、みんな変わってない。
いや、そりゃまあ、外見はそれなりに大人になってるわけで、太ったり痩せたりしてるし、
仕事もみんなごりごり変わってるんだけど、なんか、同じなのだ。

植物屋としてはふと考える。苗のころのわしらはまあ、あんな感じだった。
あっち行ってこっちいって、あれこしてこれして、育って行ったらこうなった。
なるほど。なるほど。それぞれがしている苦労も当たり前のように就いているかのような仕事も、
なぜだろう、とても必然性があるような気がした。
とても不思議な感じ、あのとき、苗のときに未来を占う人がいたら
きっとそれなりに言い当てたんじゃないかと思う。

それくらい、素直にすくすくと育ってるわたしたち。

僕はしょうもないけど、小学校のころから理屈っぽいので「ハカセ」と呼ばれてた。
で、昨日壇上に立ったら「やっぱりハカセだなぁ」と言われた。
けっきょく、代わり映えしないものらしい。たぶん、あと30年くらいたってもそうなんだろう。

これは、どれくらい普通のことなんだろうと考える。
もちろん卒業してから音信不通な人もいる。その中には、昔とは思いもよらない
目覚ましい変化をしてるやつもいるのかもしれない。
でも、たぶんあんまりそれはない。土壌が一緒で、環境が一緒だったら、
苗から育つのはやっぱり「そんな感じ」だ。

以前、おつきあいしていた人に「市原ってヤンキーの国でしょ?怖いな」と言われて
なんかちょっとかちんと来たことを覚えてる。ま、それはそうだ。
ヤンキーは千葉市よりは多い。
でも、僕の同級生は(ヤンキー成分はあっても)さっぱりといいやつらばかりだ。
みんなまじめに働いてるし、やんちゃはしても犯罪に手を染めるでもないし、
借金まみれで蒸発したりもしない。

これは僕たちのクラスが優秀だって言いたいのとはちょっと違う。
うまく言えないけど、壊れてなかったんだと思う。

受験戦線に立ち向かって、上の学校を目指した連中は五分五分という感じ。
ぼちぼちの学校とかさっさと就職した連中は堅実に家庭を築いて、なんだかちゃんとしてる。
子供の頃とは逆だな。それがなんだか面白い。

じゃあまあ、自分がちゃんとしてないのがかっこ悪いと思ってるかというと
そうでもない。ハカセちゃんとしろよーうへへ、と言われたりするのはむしろ楽しい。
誰かが言った「まあ、うちらなんかそれなりに好きな道に進めて、楽しくやってるよな」
そう。それそれ。子供の頃はあまりよさが分からなかったけど、この緩いぐだぐだとした空気。
僕たち世代が持っている空気は、親の世代が醸し出している緊迫した悲壮なものとは
まったく違うものだ(他の場所のことは分からない)

僕たちにはなんとかする自信があって、(驚くべきことに集合名詞的に)
なんかあったらたぶん助け合えるし、みんな勉強は嫌いだったけど、
「ま、そういうのはハカセがやってりゃいいわけだし」と思ってる。大人だね。
なんかさ、その言葉すごく嬉しかったよ。てか、子供のころからきっとみんなそう思ってたのかもしれない。
僕が気づいてないだけで。

で、きっとお互いにそれを思えるようになった。農業やってるやつはいないけど、
誰かしら始めるだろう。土地あるし、仕事もあるし。鷹揚な感じ。豊かな感じ。

と、同時に昔から思うのは纏い付くような空気の存在。
そこで泳ぐためには技術がいる。技術のないやつもいた。僕もなかった。
技術を身につけて、ある段階を通り抜ければなんということはない。
別に無理をしてるわけじゃなくて、経験を積んでみればできるというか。

空気という例えもじつは適当ではない。もっと曖昧なもの。
そうだな。僕たちをお湯にじわっと浸けていて煎じて溶け出したものとでもいうか。
相互作用的で、得体がしれなくて、言語化していない。

それはそんなものでしょう。という共通の了解がある。
地元だとなんとなく分かる。単に地名が分かるとかではない。
強固な制度に乗っている。きっと同じ収容所で育ったような連帯感。

前も言ったけど植物みたいな。ひとりずつが弱っちくてもダメダメでも意志がもやもやしてても。
絡み合って支え合える。それが一つの強さなんだろう。

わが友・ガメ氏の問いに曰く「なぜ、日本人は福島の子供を避難させないのか?」
個人的には、即刻その手を打つべきだと思ってるし、そのように言うべき人には
伝えているつもりだ。でも、根本的にはなす術がない。

なんでだろう。つくづくと同窓会のあとで考えた。
みんな、ニュースとかは見ている。実際に被災地まで赴いて死体の山と対峙した消防士もいる。
けれども、僕自身そうであるように、あれは遠くの出来事なのかもしれない。

僕たちは、お互いにあまりに不可分に絡まり合っていて、福島のことや
あるいは、どこか遠くの外国の話も「がんばれ日本」とか統合するイデオロギーがなければ
同じ人間の蒙っていることとして認識できないのかもしれない。

それくらい僕たちはそれぞれがそれぞれにローカルな塊を作って生きている。
その気持ちの指先が、福島の子供たちのところにまで届く基本的な何かを欠いている。
(頭で理屈としては持っていても、切実な問題として)

これはすごく断定はしにくいけれど、都会から来た人にはだいぶ分かりにくいのだと思う。
たとえば、放射能について心配をすれば「まあそんなに大げさにしないでも」で済まされるし
下手をすれば「放射脳だから」と揶揄されもする。

裏を返せば、どうして僕たちは放射能をそれほど恐れることができないんだろう。
見えないから?学校でそれほど教わってないから?無知だから?
たぶん、どれも違う気がする。僕たちはどいつもこいつも不完全で、お互い絡み合って、
誰が誰というのではなく生きている。群体で。

きっとその中で誰かが死んだり、産んだり、あるいはもっと難しいことがあっても
それはあたかも自分の一部がそうしているような錯覚にとらわれる。
奇妙な連帯感。波打つように伝播してくるいろいろな感情。感情が自分一人で完結できない。

僕たちはたぶん、他者を他者と区分して感情を作り込むという作業をしていない。
自分の感情にじっくりと向き合って形を作り込むというような作業を省いてきたから。

だからこそ、僕たちは不必要に頑丈だ。もっと不満を言ってもいいと思うし、
もっと狂ってもいいと思う。けれども、そういうやつらは脱落していった。
だから、少し寂しい。そして、その線上にいるんだいつだって。

知らないうちに、いつも戦場で生きているようになったんじゃないだろうか。
僕たちはずっと戦っているし(引きこもっていてさえ戦っている)、
その相手は誰だか分からない。まるで、小さなウィルスにいつも戦いを挑まれているような状態。
あまりにも臨戦態勢が長くなって慣れきってしまっている。

そのわけの分からない敵と、放射能はそっくりなんだ。今気づいた。
だから、さんざん戦い続けてきて、いまさら放射能が降り注いだときに
(理性としては線量や内部被爆の値を心配する。「理性として」)
そこになんら目新しさを感じない。弾幕のなかにずっと立たされていて、
銃弾の色が赤から青になっただけなんだとしたら? 僕らは戦いに倦んでいる。
まあ、ちょっと飲んだくれて、楽しく遊んでリラックスしたいって思っている。

子供を猫可愛がりして、闇雲に未来を感じたいなぁなんて思ってる。
子供なら好きだ。誰の子供でも好きだ。誰もが誰の子供でも好きだ。
たぶん僕たちが唯一希望を持てる「未来」というものが(陳腐だけど)子供なんだと思う。

さしあたっての結論だけれど、そうじゃないとしたら、
どうして放射能がこわいと思えないのか、怖いとしてもあくまでも漠然とした恐怖でしか
とどまらないのかも、うまく説明ができない。無理矢理と言えば、無理矢理だけど。

もしかしたら、どこかで僕たちは誰かが斃れても代わりに誰かが生き残ればいいやと
お互いに思っているのかもしれない。

それがさ、「人間」として間違えてるようなのはよくわかるよ。ガメどん。
でもさ、そうだとして僕たちはどうやったら人間の心を得ることができるだろう。


僕はそのことを知りたいと切実に思うので、一度外に出てみようと思う。
どこまで出られるのかは分からないけれど、でんでんむし清右衛門の歩みが届く範囲まで


福島のことをもっといろいろ思うけれど。ひとまず
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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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