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311

全ての死者に祈りを、全ての生ける人には平穏を。
あちらで話を聞きましょう。

べたな話で恐縮だが、地震からこっち、好き嫌いが激しくなった。
好きなものは、より好きに。嫌いなものはより嫌いに。
あれよ、あれ
「地震によって生命の危機を感じた身体がセンサーを強化しているんだわ!」
そうそう。そんなところかもしれない。
だから、もとからそうしたことを(sixth senseのほう)訴えてらした方には
千載一遇のチャンスかもしれないけど。ところがどっこいこらどっこい。

禅語で「竹林に風が当たってざわざわ言わないと、風が吹いたことは分からないよ」
みたいなのがあって(本が出てこない)、
竹林のほうも、とても大事だってことだ。
例えば、ぼくたちがまったくもって野性児だったらその時には
草の声を聞くのも山の声を聞くのも、月の満ち欠けを聞くのも
自明だった。自明だったから頼まれもしないでもやっていた。

なるほど、取り戻すべき風習かもしれないけど、
「そういうのって大事だよね」っていそいそと始めることは
たぶん、長続きしない。否応もなく追い込まれないとできない。

みっともない話だけど、我が家は大家族だったころの名残で
冷蔵庫が二つあった。地震のあとに整理してみたら一つで十分なことが
分かった。分かったから「一つでいいじゃん」とて、古い方の
コンセントをちょん切ったらおかんが激怒して、
いかに冷蔵庫が2台必要かという口論になったけど、
戦う相手が悪すぎだ。どこをどう転んでも
いりもしない電気を浪費してゴミ袋一杯の食べられそうもない
食料を保管しておく意義はあるように思えない。

でもね、それっておかんだけ責めてどうこうという話でもない。
いままで、2台なことをあまり気にしてなかったのは僕とて一緒だからだ。
それがまあ、原発の話と概ね一緒なんだけど。
というわけで原発の話はもうしない。話は簡単。
簡単じゃないのは後始末の方。それはまた稿を改めるです。


しゅうらく1
奥会津三島町。鬼子母神から桧原集落




ほんとに身につくことをしようとしたら、
自分でよく納得して飲みん込んでやったほうがいいのだと思う。
すくなくとも「電気が必要です」と「健康のためには○○が必要です」は
方向が違うだけで、構造が一緒なんだもん。
「必要です」って言ってる人がいるから必要のような気がする。

そういう、必要に迫られないことを無理をしてやることないな、
というのが、身も蓋もない結論。311の。
あれを天罰だと言った老人がいたし、天祐だと言う人もいる。
でも、僕はどっちでもいい。
幸いにして、僕の大切な人は誰ひとり犠牲にならなかった。
だから、その位置からこのひとつながりの災厄が
いいのか悪いのかなんてなんとも言いようがない。

というさしあたっての結論めいたところにたどりつくには
曲りなりにいろいろあったジンセイの過程が必要だったとつくづく思う。
そして、それぞれが持つその過程を無視して分かったようなことを
思ってもいけないと。だから過程をすっとばして
たとえば、「自然の息吹を感じるのは大切です(キラキラ)」などと
キモチノワルイことをほざきたくない。

おゆみ野の森のメンバの夫君で
「オレ、自然とか嫌いっすよ。だって靴が汚れるじゃないっすか」
という方がいて、僕はその人がとても大好きだ(笑)

だから子供の教育にいいという理由で自然を求める親たちのことは
僕はあんまり好きじゃない。子供たちは好きだけど。
子供にあげたいからあげるなんて、ふざけてると思う。
あなた自身が欲してやまないという姿こそが子供を動かすのだから。

しゅうらく2
奥会津昭和村。野尻川

みちくさ部で自分の口から
「木はいじめられたらいじめられたように、愛されたら愛されたように形を変えます」
という言葉が出てきたのを思い出して驚いた。
…いいこと言うじゃん自分(これを、自画自賛という)
これって人間にも当てはまる。
もちろん姿形にも出るけど、心にも出る。

芸能人を見ていると露骨に見えてしまって最近はテレビも見たくない。
若くて旬だけど、盛りの一線を超えると、無惨に老いが襲ってくる
その予兆が盛りのうちに見えてしまう。
もちろん、その老いの先にまた違う舞台が待っているわけだけど。
あまりそういう無理な姿は見たくないな。

電車に乗っていても、この人には希望があるな。とか、
このひとはどん詰まってるな、とか。
このひとは、もう死ぬまでこの型で行くなとか
そんなことを考えてばかりいるので、本を読んでない。
ほどほどに混んでる電車で座れるのが最適。

さらに、重心も見る。この人は足を払えば転ぶな、とか。
肩を押さえればひっくり返るとか、頭を押さえれば…
…合気道でも始めるかな。わはは。
でも、重心を見る癖をつければ悪漢に襲われても多少落ち着いて
いられるようなきがする。
あと、生花にもとても役に立つ。


くらし3
檜枝岐村。六地蔵


生花をやりたいと思ったのはいつの日だろう。
けっきょく、師匠のご縁がなくて、誰にもついてない状態で
無手勝流に生けているけど、
地震のあと目に見えて良くなった。といっても
まだ、我慢できるというくらいだども。

かように自分ひとつとっても変化し、流れて
一つのことがあっちへ、あっちのことはこっちへと
つながってしまう。少々面倒でもある。

相変わらず、誰しも愚かなのかもしれないけど、
地震のおかげで、惰性で右から左に受け流していたのが
考えるようになった。
考えることに意味があるような気がしてきた。
瀕死の病人のようにチューブを差し込まれて
供給されていたものの意味を考えるようになった。

ろくでもない結果になるかも。
けれども、ひとまずちょっと考えて、とるものもとりあえず
駆けだすような、そういう世界が芽を出してきた。
考えることが条件反射になるような。
たとえ、どこに行くことになっても、
それがなければつまらないし、
善きジンセイとは言えないのではないか。
逆をいえば、善きジンセイをまじめに送るつもりでいれば、
たぶんどこへだって行ける。

まだ経済の崩壊という第2ラウンドが待ってる。
その時にその芽がどうなるかどうか。
うまく育つように望んでるし、努力もしてみよう。
それによってこの島を出るかどうか決めようと思う。
それじゃ遅いと言うやつもいるけど(笑)
僕は、そういうニンゲンなのである。

re_IMGP2328x.jpg
2月のたからの庭みちくさ部。ヤエムグラひっつけるの図。※写真はannねえさん提供。多謝!



もうひとつ、日本人の集団と植物の類似について論じようとしたけど
もう長いし、それを書いてると
今日仕事をする気が失せそうなのでこの辺にしておくものなり。


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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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