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走る有野も美しいよ

表題は、黒田硫黄『茄子1』より。
よゐこの有野君ではない。

ずっとまとめようと思って、宙に浮いていたことを、
猛烈に眠い中、園生の森の写真とともになるべく短く。
イルカの話は長過ぎだ。

「走る有野も美しいよ」は、高校の同級生どうしの有野君(男子)と国重さん(女子)が、
卒業後ばったり再会して、川原でキャッチボールをするという。
まあ、ほのぼの系の話で出てくる台詞である。けれども、よおく考えると、
この3分足らずで読めてしまうような短編マンガは、ほのぼの系で
片付けるにはけっこうふくざつなのである。

男子と女子でありながら、二人はまるで性的な雰囲気(変な日本語)
を纏っていない。では、幼児的かというとそうではない。
最後、有野君は「若隠居」をしたいと言い、国重さんは「結婚とか恋愛とかなしで」
生きていたいと言うのである。これは、どっちかというと老人的、
それも昨今多い強欲な老人ではなく、何かを使い果たした、
焼き払われたあとのような。そういう感触を受ける。

ちょっと見かけない紫。アキノタムラソウ
日本のサルビアは世界で勝負できる。

tamura

「漂白」とも言える。でも、漂白、脱色よりも
「焼き払った」といった方がしっくりくる。

かんぜんに「焼き払った感じ」を出しているのは、僕の知るかぎり、
黒田硫黄、高野文子といった漫画家のほう。
小説では難しいのかもしれない。場面が美しい線で描かれて
構成されていれば、ただ「かたち」について考察することができる。
知覚できるといってもいいかもしれない。
必ずしもそれはストーリーが明示されていなくてもいいのだ。
今のところ、この2人以外で同じ感触を味わえるのはサリンジャーしかいない。

夏のよろこび、ニガクサ
niga


「焼き払った感じ」は執着することに価値を見いだせない
主人公たちによって作られている。
思えば、世界は不必要に複雑でシステムの側に個人が使役される状態でいる。
(このブログだってその複雑さのおかげなんだけどさ!)
けれども、いつまで人ひとりひとりは、システムのほう、仕組みのほうに
合わせてなきゃいけないのだろうと思う。

自覚的かどうかはさておきとして、直感的に、その状態に否と言えるのが
「焼き払った感じ」の作品たちだと思う。
恣意的に「ほらほら、こうんないいはなし書いちゃったから読んでよ」
というものごとが溢れかえっている。ときには「シンプルさ」さえ暴力的に
雄弁だ。雄弁は銀とはよく言ったものだ。雄弁が毒を撒き散らかしている。

これも代わりのない朱色。あざやか。タマゴタケ
egg

水墨画だけれど、こないだ観に行った伊藤若冲にも同じことを感じた。
技巧を研ぎ澄ます感じ。無心な感じで、えぐみがない。

それは何だろうとずっと考えていたら、園生の森でマンネンタケの芽生えに
出くわした。まるで人の手のようだ。
reishi

ふだん、植物のかたちを見ることが多いので、急にこういうかたちを
見せられると、とても困惑してしまった。
植物のかたちには「これからこう言う風になるよ」という時間が含まれている。
だからこそ、そこに安心感と余分なものがないという(どんな複雑であっても)
落ち着きがあるのだ。

「走る有野も美しいよ」は、
ただ、単に、走っている有野のかたち、
動きが美しかった瞬間のことを言っているのだと思う。

急に跳躍するけれど、岡崎京子の『ヘルター・スケルター』を
読み返していて同様のことを思い起こした。
これは、骨以外のほとんどの躰のパーツを整形した主人公が
モデルとして成功し、転落していく話だ。
岡崎京子にも「焼き払われた感じ」を感じる。
それは、過剰なまでの性的な暴力的な表現によって、
却って性的なもの暴力的なものが、うんざりとしたものであることが
際立っていって、
「生きる活力」とか「血肉が通った」というような表層的な
言葉がどんどん陳腐になるまで、かたちだけが取り出される感じ。

主人公リリコは、整形によって「人の欲望」が形象なした姿をしている。
そのことを指摘した麻田検事という人物は「骨格と表情が乖離している」といって
リリコの整形を見抜いている。
カローラのCMでキムタクが「走りたくなる形」と言っていたことがある。

何を意味しているか。不快なかたちは概ね麻田検事が言うように
「骨格と表情が乖離している」状態で不快になるように思う。
もちろん、そういうものを好む人もいる。それは、漫画でも小説でも
絵でも彫刻でもランドスケープでもそうだ。その乖離を自由自在にできたら
その人はどんな表現者であったとしても、こんなに楽しいことはないだろう。
でも、そんな人はいない。

マヤラン。葉緑素を持たないシンビジウム。
腐植と樹木との繊細なバランスの上に生きている。

maya

おなじく、サガミランモドキ
sagami

けっきょく、そのままならない感じもまた楽しいのかな。
あと、その「かたち」が永続しないこともまた、楽しい。
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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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