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焦土

日付が変わる、書きはじめ。
仙台に向かう新幹線で安請け合いした原稿がどうしても書けない。

書けないあまりに庭の手入れをする…固くなった土をほぐして
土を入れ替え。タスマニアのスミレ(こいつは嫌いだなるべくなら誰かにあげてしまいたい)、
ゼラニウムなんとか、スカビオサ2種。買いっぱなしで植えてなかった苗を植える。
カラーとEuphorbia Diamondfrost。あと取り蒔きしていたクマツヅラ。

さて、たまっている種をまきまくろうと思ったら、お向かいの奥さんが(といっても距離はわりとある)
ユキヤナギの苗をくれるという。やれやれと出かけていったら、チョウジガマズミらしき苗がもりもり
殖えたと言っておっつけられる。ユキヤナギはとうに掘りあげてあった。

もうすぐクマガイソウが咲くと言って自慢される。バイカカラマツも見事に咲かせている。
あまりじっくり話を聞いたことがなかったが…これはすごい使い手じゃ…
もっとも、咲かせる技術なんて僕はてんで持ち合わせていないので、
ややこしいのが来たらお向かいさんにあげれば何とかしてくれると思いいたる。
たまっている種は6種類くらいあるし…芽が出たらあげちゃおう。

とかやってたら、くたびれてユキヤナギの植える場所を考えるのが億劫になる。
(意外とこれが精神統一を必要とするのだ)
催促が来ていると分かっているからメールを開く気にならない…

龍馬伝を見る。福山雅治の「何か言いたいんだけど言えないで誤魔化してる顔」にぐっとくる。
さらに、広末の「ああ、わたしはこの人と決定的にずれてしまったと思ってる顔」にもぐっとくる。
ついでに、大森南朋の「修羅の顔」にもぐっとくる。
隙がないな。武田鉄也が勝海舟というのには若干不満だが(北大路欣也よりはましか…)、
次週に期待したい。

さあ、書くぞ。日付も変わったし。明日は早起きしなきゃいけないし。1時間以内で。

…とその前にアフガニスタン情勢の記事を読んでしまう。事実上、アフガニスタンがどうなろうと
僕の生活には支障がないなんてつれないことは言わない。
「カルザイとオバマ」
なぜか、中央アジア-カフカス-トルコ-中東-北アフリカ-モロッコという乾いた地域に
強い憧れを持っている(広すぎる)。たぶん他のどこ地域よりも。
そして日本だったら瀬戸内海への憧れとなってくる。次は小豆島に行きたい。痛切に。
たぶん、乾いていること、洗濯物が高速で乾くことへの憧れだろうと思う。
そして、いろんなものにカビが生えたり腐ったりすることへの嫌悪感の裏返しだろうと思う。
おそらく変形した潔癖症なんだろう。

さて、そろそろ…と思いつつ「川上未映子の純粋悲性批判」を覗いてしまう。更新してない(笑)
RSSという文明の利器がいまだによく分らないわたし。

そこで、サリンジャーが亡くなったことを思い出す。書いてあって。忘れてたのに。
なんてこった。サリンジャーが死んじゃうだなんて!!!
(そりゃいつかは死んでしまうけれど)

たぶんこの世界はサリンジャーみたいな人間にとって永久に生きにくいままで、
それは、龍馬伝のあとのNHKスペシャルでも強烈に感じたことなのだが、最初の星の生成なんて、
平らな面に(食パンでもいい)カビが生えるのとなにが違うんだ!!!
あるいは平坦な地面に木々が分布している様子でもかまわない。

星もあるいは人間も群体として蠢き、関連しあい、くっついたり離れたりして
生まれたり死んだりする。うっかりそれを自覚してしまったら、サリンジャーのように
胃がねじれる苦難を乗り越えて印税暮らしにまで辿り着くか、(これは比喩です)
星と同じようにドロドロとした生成と死滅を繰り返す泡の中でゆられて
消えていくか、どっちつかずで(割合としてはそこがいちばん多かろう)同類たちが書く本を
なぐさめに生きていくしかないのだろう。やれやれ。

サリンジャーは、第2次世界大戦の戦場を生き残った。
そのことを描いた「エズミに捧ぐ」は彼の作品でももっとも印象深いと思う。
人間の残酷さが余すところなく発揮されて、肉体的には血と阿鼻叫喚と、肉と骨と内臓と
精神的には、極限までの恐怖や、懊悩や、諦めやあるいはゲシュタルト崩壊みたいな脱力や
その間の幸福感や感激や。きっとありとあらゆるものが生まれて消えていっただろう戦争。

彼は焦土を見ただろう。事実上の焦土だけでなく、おそらく、自分や同時代の人々の表情に。
これは、カート・ヴォネガット「スローターハウス5」にも感じた。ドレスデンの焦土。
「シンドラーのリスト」に感じない。
スピルバーグが戦争を自らの体験としてはとらえきっていないからだと思う。

親戚で、元陸軍の将校で、教導にいたため、本土に留まり
(彼はそれが自らの秀才のゆえと自慢する)
実際に戦争を体験しなかった爺さんがいる。かれはなにせ毎日、外務省に電話をかけて、
「あの戦争は正しかったんだ。アメリカにだまされた。公式見解をそっちに変えなさい」と
クレームをつけるのを生きがいにしている。
(可能であればお早めに退場いただけると外務省の役人さんも枕を高くして眠れるだろう)

正直、僕はこないだの戦争でどっちが正しいとか正しくないかとか、
何人亡くなったかについてまったく興味がわかない。
ただ、膨大な数の人々が当人のどうしようもないような時代の波に飲まれて
命を落としたというだけの話だ。日本は正しかった。左様。
それが正しかったからどうだというのか。

焦土を見た人と見ない人の違いを感じる。
爺さんの中にある戦争は甘美で勇壮で、自分の優秀さを担保してくれる、かけがえのないドラマだ。
もはや、かれはその栄光なしでは生きていけないだろう。
同じことはたくさんある。営業のプロでなんでも面白いように売れるという人が、
自分の人生訓を本にする。とか。
バブルのころ、ゴルフ三昧で、会員権を億単位持っていたがはじけたら紙くずになったとか。

いいな。そういう人は、焦土を見ずに幸福な人生を送って、よくないものは周囲に撒き散らして
欲にまみれたままそれがとりたてて悪いこととも思わずに死んで行くのだろうから。

でも、サリンジャーにはそれができなかった。
焦土の向こうに、欲の燃え尽きた清浄な世界を見てしまったのだ。
(皮肉にも、そこへ辿り着きたいという倒錯した欲を人は持ってしまう)
だからこそ、心のうちに焦土を抱える人は、というか僕は彼に惹かれるのだと思う。
たぶん、僕が乾いた土地に惹かれる理由も根っこは同じだ。
彼が死んでしまってとても悲しい。

さあ、1時間経った。寝よう。
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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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