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桐の記憶

かれこれ6、7年前に、僕の祖父の弟にあたるおじさんが
植えていったキリがいよいよ咲いた。幹がくねくねしている。
途中で僕が余計な剪定をしたせいかもしれない。
フジといい、今年はそういう年らしい。
それともそのことに着目する余裕ができただけかもしれない。

kiri

桐はとにかく、美しい木だ。宿命の木と言っていいかもしれない。
桐のない世界はあじけないだろうなぁ。という木だ。

大学のとき、松戸キャンパスの建物とアスファルトの隙間を食い破るようにして
生えて、花まで咲かせていた。あまり格好のいい木ではなかったけれど、
大きいのに派手派手しくなくて惹かれたものだ。

その年、9月に中国の西安郊外で見渡す限りの桐の林を見た。
もっとも当時は親に借りた安物の写ルンですに毛が生えたようなカメラ
(このカメラでも意外にいい写真を撮っていたりする。デジカメの罪悪だ…)

とにかく、その光景は忘れられない。一面の桐が開花して道路沿いに続いている。
いま思えば植林だったのだろうけれど、たぶんもう一生見ることもないような。

次に、青梅で卒論の調査フィールドを探してさまよっている時。
植生図を頼りに、(その時はモミ林を探していた)集落から集落を移っていくと、
山を背に茶畑が広がっている。奥に屋敷がある。ここまではよくある光景。
けれども、違っていたのは、茶畑に大きな桐が(たぶん10mはあっただろう)
等間隔に植えられているところだ。
この時は、柳田國男が集めた民話にあるような隠れ里に迷い込んだ気分になった。
一緒に行ってくれた後輩2人が覚えてないのも怖さを誘う(笑)

花は咲いていなかったけれど、あの開けた茶畑で満開の花が咲いた桐の木があると思うと、
胸や腹を内側からくすぐられるような妙な気分に襲われる。
エロスとかタナトスとも違う…強いて言えば起きたまま見た夢のような感じだ。

考えてみれば、大学のころのことなんて、もはや現実に
あったかどうかすら定かでない。デジカメを使うようになってから
たいてい、記録写真が残っているので、それを見てしまう。
すると、記憶はそこへ収斂する。それで終わり。
思いがけず思い出したり、印象だけが純化されたりという工程は省かれる。
そのころはそんなあやふやな世界に生きていたわけだ。

最後は佐倉市、直弥地区。めっぽう辺鄙だ(笑)とにかくバスがない。
バスがないから、バスが来るバス停まで歩いて行った。
台地の上に畑、屋敷、屋敷林、植林が続く下総台地の典型的な風景が続く。

5月だったと思う。遠くに桐の木が見えてきた。
だいぶでかい。どんどん近づく。やっぱり10mかそこらある。
しかもひと抱えはある太さ。(たぶん、枝おろしをしているんだろう)
こんな見通しのいいところに、まるく整った桐がぽんと生えている。
まあ話と言えばそれだけなんだけれど、すごく、‘甲斐’があった。
通り過ぎてもときどき振り返ってみる。でかい。

特に落ちはないけれど(え…)
もしも、なだらかな斜面がまとまって手に入るようなことがあったら
(あるもんかね…)
または、そんなような場所で公園やなんかを作るとなったら
まず間違いなく、桐を植えるでしょう。理由は、別にない。


あと、おざなりに。

ノイバラ
rosa_multiflora

ヤマツツジ(関西風)
yamatutuji

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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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