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橋を焼く

今年が終わろうとしている。
去年の今頃は、造園ししょうの事務所、国道1号線沿いのあの事務所で
かりかりと図面に鉛筆を走らせたり、キーボードを鳴らしていたのが嘘のようだ。

その庭園が竣工してからやれやれと、南アフリカに行った。
帰って来てみると、物足りない感じがするけれども、もっと世界を見たいと
思うようはなった。無闇に広くて恐ろしい世界。
別にそのことによって何かをしたいのではなくて、ただ闇雲に見たいと思った。

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その庭園からはじまって、どういうわけか「たからの庭」に出会った。
草木の話をしている。毎回、恐ろしくて仕方ない。

こんなささやかな話でお金をとっていいのか、間違えるんじゃないか
つまらないぞ、という顔をしているひとがいるのじゃないか。

喋り始めさえすれば、あとは誰か違うひとが気の利いた(?)ことを
喋りまくってくれる。そこに至るまでは、ただただ頭の中を攪拌する。
先に考えておいたストーリーを反復する。

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実際は、始まってしまえばそんなストーリーは消え失せるのだけれど。
眼の前に植物やとにかく話すべきことがあって、
参加して下さったかたの表情や言葉があって、
攪拌された断片が繋ぎ合わさって出てくる。
ただ、喋る。

だから、もう少し、余裕を持って情報量を減らさないとな、と
いつも思う。喋り過ぎている。まだまだ怖さが先に立っている。
そこは銚子のお師匠(喋りのね)のようすを思い出す。

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ツイッターを始めた。そこでもずいぶん僕は喋っている。
喋り過ぎとも言われた。
けれども、どうしても喋るのをやめることができない。
喋りながら考えている。
そういう意味ではツイッターは最適な仕組みなのだと思う。

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考えてみたら、僕の祖父はやっぱり喋って生きていた。
最期、手術を拒んで死ぬまで喋り続けたそうだ。
彼は本当に無名の牧師だったけど、亡くなったあとに多くの人が慕ってくれた。
そうした考えはとても危険なのだと承知で言えば、宿命を感じないではいられない。
少なくとも、祖父の持っていたボールは僕にパスされたのではないかと思う。
けれども、それが宿命的と言えるかどうかは、僕が死ぬまで分からない。
もちろん、その捉え方自体もそんなに意味ないし。

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祖父は僕が1歳の時に、祖父の奥さんである祖母は僕が18歳の時に亡くなった。
現時点で、僕にとって最も大きな喪失感をもたらした死だ。
祖母の前に、それよりも大きな死はないし、それよりもあとの死は
ただただ、頭だか胸に空いた穴がじわじわと広がるような感じはすれど、
悲しくもないし、惜しくもないし、涙も出ない。
言いようがなく、穴が広がっていく。

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いろんなことを目まぐるしく考える。
歩みはのろく、遅々として進まなくて、焦る。物理的にも頭の中も。
穴を埋めようと思って、24日はミサをサボって(どっちみち行くかどうかは微妙だったのだ)
銚子へ行った。銚子の海に何かきっとあるような気がしたからだ。
でも、特になかった。淀んで豊かでスープのような泡立った素敵な海があった。

すっきりするつもりが、ちっとも心は晴れない。
でも、今まで僕の前から消えていったたくさんの死者のために
水仙を海にぶん投げてみた。波が押し返して帰ってきた。
釣りのおじさんが胡散臭げな(被害妄想)眼で見ているような気がする。
とほほ

そのことを詠んだ

 水仙に 亡き人人人 背負はせむ
※すべりひゆさんとマルクス博士が素敵なアイデアをくれました。多謝!

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数学者になるはずだった従妹のミドリちゃん。過労で死んでしまった。
父の友達のSさん。父の命を救ってくれたのに、お母さんと心中してしまった。
義理伯父のレイジさん。90歳の大往生。
近所の病院のH先生。不倫してて隠し子がいたのがばれたのを苦にして首をくくった。
中学校のときヤンキーで鳴らしていたヒラカワ先輩はバイクで衝突して亡くなった。
大叔父の一人は車上あらしに刺されて亡くなった。
修道士のギーさん(フランス人)。子供のころ遊んでもらった
あともう一人は悲しくて言えないや。

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なあああんて、陰気な話だろう。ほんといやになっちゃう。
しかも、公開の場で。けれども、しかたない。これも必要な過程だと思っている。
一度言葉としてネットにでも放したところで、
いずれはやっぱり朽ちて亡くなってしまうのだし。
捕まえてきた螢みたいなものだと思う。
ときどき、ほんとはもっといる死者たちが僕に話しかける(※文字通りではない)
「どうなの?」「ちゃんとやってる?」「こっちはいいよ。楽だよ」

そのことを詠んだ。 

冴え冴えと 欠くる時日に 触りけり

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僕はそういう時黙って、その人たちの影をやり過ごそうとする。
ちょうど『ノルウェイの森』の直子のような。(はい、ちょっとかっこつけました)
で、たぶん僕が唯一死にそうになった、真夜中の神田駅を思い出す。
思い出される神田駅はビルばかりが煌々と明るくて、線路は黒々と闇になっている。
ホームもずいぶん暗い気がする。あの時、とにかくひとつ間違えれば
いまこうして生きてはいなかったと思う。物理的な意味ではなくて頭の中身の話として。

とはいえ、なんとか生き延びてこうしている。
こうしているけど、いつも真っ黒な穴に脅かされて
少し投げ遣りにしてきたような気もする。
いつも、穴を覗き込んで、冷え冷えとした風を浴びている気がしていた。

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でも、そろそろそれを終わらさなきゃいけない気がする。
抽象的だけど、たくさんの橋を焼き落として、燃え尽きさせる必要がある。
いろいろなことが、僕にそうしろと言っている。たぶん、気のせいだけど。
思い込みだし、勘違いだし、見当違いだし、考えが足らないのかもしれない。
青いのかもしれない。

でも、もうほとんど焼き落としてしまった。あといくらもない。
余計な橋を全部焼き落としたら、自ずと残るべきところが残るだろうと思う。

そして、よく喋って喰って寝て愛して、
祖父と祖母と同じように悔いなく死んでいければ、いいや
もうそれでじゅうぶん。

それだけのことなのに、なかなかに難しい。
こけたら笑ってね。笑ってくれることは力になるのだから
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プロフィール

清右衛門

Author:清右衛門
みちくさ部長。北鎌倉たからの庭にて、草木についてのほほんと語る教室をしてます。教室&ワークショップ、ツアーや活動の記録、お知らせや、日々の雑感など。

ほかにも、編集的雑用・野草を生かしたランドスケープデザイン・植物調査・公共サインデザイン・グラフィックも少々やってます。

生態学畑。園生の森、おゆみ野の森でボランティア。
いけばな尚真。たまに俳句。

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